2011-12-12
さよなら原発・ぎふウォーク

今回も岐阜で行われた「さよなら原発・ぎふウォーク」に家族で参加してきました。
あれから九ヶ月。
いまだ防ぐ手もないまま原発から垂れ流し続けられる放射性物質は、森林、川、畑、田んぼ、海、あらゆるところに拡散し、すべての生命を汚染し続けている。その自然の恵みを食べる人間。子供たち。これからこの世に生まれるであろうあたらしい命すらも…。負の連鎖は止まることなくどこまでも続く、いまこの瞬間も。
一度暴走してしまえば、人間の手ではどうすることもできない現実。
そんなモノがこの地震大国の日本に、54基も建っている。
…なにかが根本的におかしくないか???
3.11後、僕は社会に対して最低限の意思表示として、自分の住む町で行われるデモには時間の許す限り参加している。
沈黙や無関心は現状に対しての肯定と変わらない。
デモをして何が変わるの?という人もたくさんいると思う。
だけどもデモとは「もういいよ。言っても無駄だ」という負の連鎖を必死で食い止めるために、つまり「誰も何も言わなくなった」事態を避けるための手段なのだとも僕は思っている。
僕たちの住む日本という国は、国民の健康や命よりも、くだらない国策や特定企業の利益が優先されている。命よりカネ。残念だけど完全に狂っている。
こ
れに対し多くの国民は感心を示さない。(洗脳=飼い慣らされている)
れに対し多くの国民は感心を示さない。(洗脳=飼い慣らされている)
やるべき事は、それに気が付いた国民のひとりひとりが意識を変え、それぞれができるところから声を上げ、それぞれのできうる手段を使い、それを伝えることだ。
おかしなことにはおかしいと言わないと、いずれそれが普通な世界になってしまう。いままさに日本はそうなっている。
いまそれをやらなくちゃ、誰がこのおかしな世界を変えてくれるの?
「あなたの行動が殆ど無意味だとしても、それでもあなたは、それをやらなければなりません。それは世界を変える為ではなく、あなたが世界によかって変えられないようにするためにです。」(ガンジー)
たとえ届かぬ小さな声だとしても、僕らはできるかぎり声を上げ続けなければいけない。
いずれその声は大きな力になり、全てが変わり始めるのだと信じて。
原発いらんの基本でしょ~♪
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